今回はプラモデルの話ではなく、映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版(以下「シンエヴァ」と略させていただきます)」まで観終えて、リアルの社会の中で感じていることをエヴァンゲリオンに絡めていろんな人と共有したく、文字に起こしてみようと思いました。
公開されたばかりの映画のネタバレにならないように書いたつもりですが、気になる方はシンエヴァをご覧になられてからこの先をお読みください。
※「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」までのネタバレを含みますのでご注意ください。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」とは

さて、シンエヴァですが、1995年から放送され、社会現象ともなったTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版最新作として2020年に公開予定だったものの、コロナ禍による2度の公開延期を経て、2021年3月8日に公開された、言わずと知れた大人気アニメコンテンツの完結編と称される作品です。

TVアニメ版に始まり、並行してマンガ版の発行もありつつ数々の劇場版の公開を経て今回のシンエヴァ公開となったわけですが、これまでの各作品は見終わった時に「どう受け止めればいいの?」と視聴者は毎回カオスに陥れられて悶々とした日々を過ごしてきました。シンエヴァの結末がどのようなものであったかは是非ご自身の目でお確かめください。

これまでのシリーズ作品と同じようにシンエヴァが社会現象となるかというと、公開初日が月曜日だったためか、この文章の執筆時点で私には静かな立ち上がりだったように感じています。エヴァンゲリオンはこれまで社会的にさまざまな影響を及ぼし、サブカルチャーとしても映画だけでなくいろんな作品作りに影響を与えてきた秀逸なコンテンツであることは皆さんもご存知の通りです。

A.T.フィールド

シリーズを通して劇中にA.T.フィールドという言葉が登場してきます。エヴァンゲリオンやその敵が展開する、相手の攻撃を止めるバリア的なものですが、実はA.T.フィールドはヒトも持っている「心の壁」だと過去の劇中でも語られていました。

これまでの作品においても、主要キャラのA.T.フィールドとも言える心の壁がさまざまなシーンで描写されています。中でも主人公の碇シンジくんは心の壁に閉じこもってしまうことが多く、そこからいかにして立ち上がるのかという、言ってみればワンパターンな展開ではあるのですが、そこに視聴者を惹きつける庵野監督の罠が張り巡らされていて、いつしか視聴者は「エヴァの呪縛」に取り憑かれて(ファン化して)しまうのです。

エヴァの呪縛

前作の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の劇中で「エヴァの呪縛」という言葉が出てきましたが、それはエヴァンゲリオンのパイロットは外観上の歳をとらなくなってしまうというものでした。同様に「エヴァの呪縛」に取り憑かれたファンたちは、その時の精神年齢のままシリーズを見続けることになるのです。現実として、エヴァを観る時や語る時はあの頃の感覚に戻ることができます。

リアルの環境の中において人は成長し、やがて大人になります。でも、エヴァの呪縛の中で人は成長しないのか?というとそうではないのですが、あの頃の感覚を取り戻すことによって、当時よりも成長したからこそ未熟だった自分を再認識できます。そうして「あの頃の自分はガキだったな」とか「今の自分なら」という当時への反省が生まれたりするのです。

エヴァンゲリオンも最初のTV放送開始から25年以上の歳月が経ち、庵野監督も当時の感覚とは変化した部分を作品に投影しているのではないかと思います。今回のシンエヴァによって完結と言われる「新劇場版4部作(序・破・Q・そしてシンエヴァ)」は以前のシリーズ作品のリメイクではなくリビルド(再構築)だと言われていたような記憶があるのでそう感じるのかもしれません。

世の中を知るということ

シリーズの中で、シンジくんは自分のA.T.フィールドの中に閉じこもってはそこから抜け出しを繰り返し、エヴァンゲリオンに搭乗して敵である使徒と戦ってきました。

A.T.フィールドは敵の攻撃を無力化するためのバリアのようなものですが、つまりそれは相手の干渉を受けまいとする自分の作り出した心の壁とも言えます。エヴァンゲリオンが展開するA.T.フィールドは、敵のそれを中和して相手に干渉することができますが、ヒトではそうもいきません。自分がA.T.フィールドを展開している限り、相手もそれを展開して応戦するため、互いに気持ちを伝え合うことがとても困難になるのです。

世の中は自分と自分以外の人で成り立っています。自分の価値観では受け入れられない事象に突き当たった時、シンジくんのようにA.T.フィールド全開で閉じこもっていては、そこから先に進むのは困難を極めます。

では、中和できない自分以外のA.T.フィールドを突破するにはどうすれば良いか考えた時。それを考えなきゃならないシチュエーションに出くわした時。それは世の中が常に自分の価値観を許容してくれるわけではないことに気づいた時でしょう。

シンジくんは自分の価値観とは少し異なりますが「自分の価値」を他者に投影しようとしながら、自分のA.T.フィールドによってそれができずにいたのではないでしょうか。自分が展開しているA.T.フィールドから脱却した特徴的なシーンとして、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のラストあたりで彼は自分のA.T.フィールドを自分で破って、他者を受け入れたように私には見てとれました。

大人になるということ

ヒトを形成するものがA.T.フィールドという見方もあります。自分と自分以外を区別するための存在という見方です。それは自分以外の人から侵食されるものではありません。

人はその成長過程で自分のA.T.フィールドを自分で破った時、つまり相手を受け入れられる姿勢になれた時、初めて相手が自分の気持ちを覗いてくれる状態になれることを知るのです。

それの繰り返しで、人は自分以外の多くの人が存在する世の中を生きていく術が身について、やがて大人になるのだと思います。

大人になるということは、自身のA.T.フィールド(心の壁)を自分でコントロールできるようになることだなと、エヴァンゲリオンのシリーズを通して感じています。

これは、エヴァンゲリオンというコンテンツと私との25年以上にわたる長い付き合い、そしてこの期間における私のリアルでの体験との擦り合わせを文字に起こした実感です。

エヴァンゲリオンから学ぶ社会性

やっぱりエヴァを語る時は初めて第1話の放送がTVから流れてきた時のあの頃の自分を思い起こされて、つい数年前まで私も自分の心の壁を上手くコントロールできないガキだったなと感じます。

苦手や嫌いな相手に対してはA.T.フィールドを展開してしまいがちですが、それは自分の価値観の中で相手方の問題に意識が集中してしまっている状態です。自分のA.T.フィールドを破るという行為は、自分の価値観による意識をまず消して相手にコミットすることです。それを繰り返し挑戦してきた人は、結果的に自分の価値観を認容してもらうことに長けていることがうかがえるし、そういう人こそが大人だなと思えます。

自分の価値観で世の中を生きていきたいのなら、皮肉なもので、まず自分の価値観を消して取り掛かること。これが私にとってエヴァンゲリオンから学んだ、というかA.T.フィールドによって言語化できた処世術です。

結論として言えることは、エヴァンゲリオンには人として社会性を学ぶことに必要な要素が詰まっているということです。そして、学んだそれをリアルワールドで実際に挑戦することが、人として大人の階段を登ることになり、他者のいる社会の中に自分の価値を置かせてもらえることにつながるのです。

最後に、以前ここで書かせていただいた式波・アスカ・ラングレーのプラモデルを作りたい意欲がまた盛り上がってしまっている、やっぱりあの頃から全く成長しないままの私がここにいます。

そんな私でありますが、親子でプラモを造っていると、わが子の成長はひしひしと感じる今日この頃。
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GPオヤジ

プラモのこと、子育てのこと中心につぶやきます。 ユーチューバー父子モデラーとして活動中。 インスタもやってます( @gp_082 )

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