○○をすれば丸っと解決ってほんと? 独り歩きの言葉たち。

tetrapod and wave

この記事は、独白系ライター 松本怜が書いています。

一部では「入会届を導入すれば強制入会は防げる!」やら「要配慮個人情報を取得させなければ免除の儀式は消滅!」やらと魔法の呪文の如く唱えてる方も散見される。

昨今SNS等で目にすることが増えた「PTAの適正化」という言葉。

筆者からすれば「そんな単純な話じゃなかろうよ」って印象なわけなのだが。

はっきり言おう。

入会届を導入しただけじゃ強制入会はなくならないし、学校から名簿提供を受けなくても自動入会の継続は可能。
要配慮個人情報をどうこうしたところで免除の儀式はなくならん。そして、こういう単語が独り歩きすることで、問題の本質まで目が届かない人が増えていく恐れすらある。

とはいえ、どこまで行っても任意やん。
任意なのに強制入会って変じゃない?

とお考えのそこのあなた。

それな。

ほんとそれな。

筆者も「子供のために強制でもなんでもPTAやれ!」なんて思っていない。
むしろそんなこと言われたら全力で「ふざけんな」と叫ぶ所存だ。
じゃあなんで強制入会なんかまかり通ってんの?って話なわけだが、現在でも自動入会システムを採用しているPTAに所属している場合は特に「PTAが強制なのは自動入会のせいだ!」と感じる方が多いんじゃないかと思う。

じゃあ自動入会じゃなくなれば入会の任意性は保証されるのか?

現実はそんな甘いもんじゃあない。

「PTA入会申込書」のメリット・デメリット

ここからは筆者の体験談を交えて、適正化手段の代表格とも言えるPTA入会申込書のメリット・デメリットを保護者目線で考えていきたいと思う。

一般保護者側のメリット
・入会するかどうかの意思表示ができる(例外あり)

以上です。

え?そんだけ?と思うでしょ?

そんだけよ。

次にデメリット
・入学関係の書類でウンザリしてるときに書かないといけない書類が増える
・事実上「自分の意思で入会しましたよ」っていう言質を取られる
・出すかどうかで執行部と大揉めする可能性がある

デメリットのが多いやん。と思うかもしれないが、その原因はシステムではなくそれを扱う人の認識によるところが大きい。

ではここで、「実録!入会届で強制入会!」と題して筆者の子供が入学したときの思い出を語っていこう。
あれは木枯らしが吹く1月の終わり。第1子の入学説明会での出来事。入学のしおりに沿って色々説明を受けたあと、満を持してPTA会長が登場。
「PTAは社会教育関係団体ですが、○○小では全ての保護者に入会をしていただきます。つきましては、お手元の入会届に必要事項をご記入いただき、入口に立っている役員に必ず提出して帰ってください」と。

入会届って「入会したい人」が提出するんじゃないの?と感じるだろう。
本来はそうである。
しかしながら、少なくとも筆者の子が通う学校のPTAは「意思確認のツール」として使う気がさらさらなかったからこういう手法が取られたのだ。
そこで問題になってくるのが、デメリットその2「自分の意思で入会したと言質を取られる」。
個人的には自動入会システムも悪いことばっかりだとは思っていない。特に「PTAは親の義務」って考えが強く残ってるところでは自動入会のほうが都合がいいとすら。
筆者が考える自動入会システム唯一にして最大の利点は、状況にもよるが「入った覚えないのだが?」を主張できること。
度胸さえあれば明日にでも実践可能。

でも入会届出しちゃうとその主張は通らなくなる。

で、筆者の学校のPTAのような運用をしてるところは高確率で退会方法が明文化されてない。退会なんか認めねえよ?というスタンスだから。

まさに蟻地獄。

入退会のどちらもをセットで整備できるのが一番理想ではあるが、そう簡単にはいかないのが悩ましいところ。
そこは単P※がその学校で担っている役割にも左右されるし、人々の「きもち」も大きく関わってくる。
(※単P:単位PTAの略。各学校単位のPTAの意)

PTAが要配慮個人情報を取得しなければ「免除の儀式」はなくなるのか?

それは入会届だけではなく、平成29年の法改正で追加された定義を用いて主張されるようになった「要配慮個人情報の取得を禁止せよ」というものにも通じてくるものがある。
法改正の内容自体はPTAも人事ではなく考えないといけない部分ではあるが、これがなんで「免除の儀式」※の撲滅につながってくるのかが、まー、わからない。
(※免除の儀式:PTAの役員決めの際に、役員ができない理由を説明して役員免除の承認を得ること。保護者が一同に会する役員決めのくじ引きの場で行われることが多い。)

ちょっと考えりゃわかることだが、要配慮個人情報ってのは範囲が指定されている。病歴とか宗教とか。それらを事前の同意なく取得してはいけないっていうのが、要配慮個人情報取得関連の大筋で。
現代の免除希望理由で大部分を占める「共働き」なんていうのはここには含まれない。要は特殊な事情を抱える人の情報にピンポイントで取得の制限(条件)を設けるってだけ。
そりゃあ一部では救われる人もいるでしょう。
「要配慮個人情報に当たるため、申告をお断りします」って言えるのだから。
裏を返せば「私には人とは違う特殊な事情があります」って公表することにもなり得るから、周りに邪推される可能性ははらんでいるが。

手段の目的化が正義感の暴走を招く

さてさて、ここまでご紹介してきた「適正化」を求める方々が主立って主張するシステムに対する筆者の見解を読んでいただいた上でどう感じられただろうか?

筆者はこれらの主張を目にし、自分の実体験と重ね合わせたとき「全くもって根本的な解決になってない」と感じた。

「入会届の導入」や「要配慮個人情報の取得制限」など、本来手段のひとつに過ぎないものが目的化し、そこに固執するあまり物事の本質を見れなくなっていると。
じゃあ入会届とかもいらないってこと?と言えばそういうわけではなくて、そのシステムのひとつひとつは、今後無視して通れるものでないことは確か。しかしながら、それらを実践する前にまず考えなければならないことがあるのではないだろうか。

システムをつくるのが人なら、そのシステムを動かすのもまた人なのだから。
システムという「しくみ」だけつくっても、そこにいる人たちの「きもち」がついていかなければ何の意味もない。

現代のPTAにおいて必要なのは「個々の意思が尊重されること」。
入会届も免除の儀式うんぬんもそこを目指す上での手段のひとつに過ぎない。まずは自分の所属している団体の土壌を見ることが重要だ。

PTA関連で耳にする「入会届」も「委員制の廃止」もそれ自体に絶大な効力があるから問題の解決になるわけではないのである。
あくまでもその「種」をまくために必要な「土壌」がつくれたから、それらがたわわに実るわけで。「PTAの適正化」はその土壌作りが一番のメインであると言っても過言ではない。

ネット上では○○をすればPTA問題は解決!とばかりの耳触りのいい記事がごろごろしているが、ベースづくりを完全に無視してシステムだけ導入しろなんてのは、目の前の現実を見ろとしか言えない。

筆者はあの手の文句があまり好きではない。

というのも、「○○は法的に問題があるからやめましょう」などとサラッと言ってくれるが、肝心の「どうやって?」が入ってないことが多い。
「こういう形にしなさい」と言うのは勝手だが、会員内から抵抗を受けた場合等の具体的な解決例が語られないのはいかがなものか。「それはそう考える相手が悪い」と言ったところで「だからどうした」である。

PTA改革を進めたいと考える人が必要とするのはそういうことではないだろう。
既に組織の運営方針に疑念を抱いている状態で「誰に非があるのか」だけを説かれても、強制色の強い場所で「あんたは間違ってる」で納得してくれる人がどれほどいるのかと。

「その行いは悪だからヤメロ」で済むなら、とっくの昔に学校や職場でのいじめやネット上での誹謗中傷などは絶滅しているはずだ。

多少強引でも人々が自然と納得してしまうようなカリスマ性を備えているのなら別だが、実際の現場はお湯を入れたらはい完成!のカップラーメンのように簡単ではないのであるからして。

反撃の材料を集めて一方的に論破しまくって「倍返しだ!」なんてのはテレビドラマだから上手くいく話であり、現実であれをやったところで得られるのは「一時的な快感」がせいぜいだろう。

それでも某銀行員のようにズバッと解決したいんや!と言うなら止めはしないし、幼少期に「俺は仮面ライダーになって悪と戦う!」と筆者も憧れたことがあるので気持ちはわからんでもないが、読者諸君はお子様ランチの対象年齢はとっくに過ぎていると思うので、その結果事態が悪化しても収拾をつけられるだけの能力が自分にあるのかは冷静に判断してから実行に移してもらいたい。

で、ここからは「いや、自分は銀行員にもスーパーヒーローにもなる予定はないので」という方々向けのお話である。

例えば入会届を導入したい場合には、その目的が「保護者の意思確認」でないと一般保護者側には意味がない。最低でも執行部にその共通認識があるか?が重要だ。元より導入目的は意思確認のためと明確にわかっているという状態であれば問題ないが、もしそうでないなら筆者の学校のPTAのように「保護者本人から個人情報を取得するため」に過ぎない紙切れが出来上がってしまう可能性は十分にある。

会長以下執行部の大半が強制提出を前提としているなどの場合は、その軌道を変える作業が必要になるだろう。
一度話せばわかってくれる場合もあれば、頑として認めないという人もいるかもしれない。そのため、その作業にどれほどの手間と時間がかかるかはそのときのメンバー次第になってくる部分も大きい。どうしても変えたいと思うのであれば、根気強く粘るほかない。周囲の反発を無視して強引に進めれば、それがいかに「正しい行い」であろうとも、後々揺り戻しが起こるおそれもある。

「組織」と言ってしまえば無機質な響きだが、あくまでも相手にするのは「人」であることを忘れてはいけない。
「個々の意思を尊重するべき」とする取り組みを進めるのに、それに反発する人々の意思を無視していいのだろうか?
反発だって立派な意思である。
その人々だって、悪意でやっているか?と言えばそうとも言えないだろう。

正さなくていいとは言わんが、正しけりゃいいというもんでもない。

やり方は褒められたものでなくても、少なくとも皆「子供のよりよい学校生活のため」を想い、やっているのだから───。

いやー、「PTA適正化」に燃える皆さんをメッタ斬りやね、怜ちゃん。
前野としては、「適正化」というその適性の基準は誰が定めるのかという点が、いまいちはっきりしないまま、その単語を頻繁に使用するセンスが気になるよね。

あー、たしかに。

「俺がいいね思うから、これが適正なPTAなんだ」っていうのは、理屈としては成り立たない。だってPTAを活動を押し付けたくて仕方ない人にとっては、そのやり方が「適正」なのだから。

PTAという素人ボランティア集団に「適正」っていうのもどうなかと、ちょっと思うんですよ。言葉の響きが強すぎるというか。

それもある。
だからこそ、丁寧な合意形成が必要というのは、怜ちゃんに全く同意。目の前の理不尽に憤って解決しようと頑張るのはとっても大事なことだけど、だからといって「あいつは間違ってる」「自分は正しい」の二元論でやりあってもね。議論の後にも互いの日常生活が粛々と続いていくという現実は、大切にしたいところよね。

まあ、言いたい放題で暴言気味の我々が言えた義理ではないけども。

それは言わない約束。
とはいえ、前野としても、PTA活動みたいなものを無駄に張り切る人だとか、全ての保護者に等しく義務付けたくて仕方のない人たちともリアルでやりあってきたからね。強い響きの言葉を使いたい気持ちもお察しするところはあるよね。
前野としても、それが適正化はともかく『前野的にちょうどいいPTA』の構築は、ぶっちゃけ大変なこともそれなりにあったから。

大変なことって、具体的には?

んー、例えば保護者にプレッシャーかけて無理して出てきてもらわなくてもいいように、各種ボランティア活動の定員を増やすとか。その上で、「欠席の際は連絡いりません。遠慮なくお休みください」ってお知らせに書くなり、総会などで常に言うなりするわけよ。
それに対して「勝手にルールを変えた」と怒る役員はいたかな。

めんどくさ!

まあね。でもスルー。その人といちいち理屈でやりあっても、そっちのほうがめんどくさいから。
それに、めんどくささから言ったら、保護者全員に絶対に役員なり活動なりを割り振るほうが、「できる人だけでやりましょう」より、はるかにめんどくさいから。
多少ブツブツ文句言う古株さんがいたとしても、サクッと次年度役員やボランティアさんが決まった方が世話する本部役員にとってはありがたいのよね。

サクサク感、大事。

「やらない人がいるなんてズルイ」と言い張る人は最初の何年かはいたけれど、もうね、本部役員数人がかりでひたすらなだめて乗り切った。
「旧システムではあなたにご無理おかけしてごめんなさいね、頑張ってくださってありがとうございます」って。

「やらない人はズルイ」の声は、一種のSOSなのかもね。
その人なりの大変さを抱えていたけど、まじめさゆえに我慢しちゃって無理がたたっていたのかな。

かもしれない。まあ、憶測の域を出ないのだけれど。
だからといって、自分もつらかったんだから他人もつらい思いをしろっていうのも無茶な話よね。

PTAって、勢い余ったまじめさが
暴走しがちな戦場だよね。

ほんとに。皆さん、あのまじめさで常日頃どんなセックスしてんのかしら。

ちょ、芽理さん、そこは大きな声で言わないとw

はて、わたし何か言いました?
それでは怜ちゃん、この調子で第二弾、第三弾と引き続きぶっ放していただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

コラムの内容と全く関係ないけど、こんな漫画がありました。
主人公の女の子がかわいい。神の使いが見える以外は普通の女の子なのだそうです。普通って定義ひろいな。

この記事は独白系ライター 松本怜が書いています。

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