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「人はそれぞれに自分の見たい世界を見る」というけれど

自説のためなら誤読も辞さぬSNSの猛者たち

 早速ですが、まずはこちらをご覧ください。

 堂々と弊社の記事を引き合いに出されて、持論を展開しておられます。
 このツイートの前後を拝見したところ、やり取りのお相手のぶきぶきさんは、きちんと読んでくださったご様子でした。まさに弊社がお伝えしたいとおりのご見解を述べておられました。
 従って、弊社としては、当記事をご紹介いただきありがとうございますとしか言いようがございません。アフィリエイト貼っときゃよかった。

 当該ツイートに関しては、あまり詳細にツッコミをいれるのは企業としてどうなのというよりも、人としてはばかられるので避けたいところではありますが、

① 「裁判所は」という主語を立てていない。その予定もない。
② >「非会員の~言っている」的に堂々と書いてある 
 具体的にはどの箇所か。
③ 「見たことあります」はいつ見たのか。

 この三つは、できれば今後の参考にお伺いしたいところではありますね。
 ③については、現在はリライト後の記事を掲載中です。内容も確認せずに「見た」として当該記事のURLを貼り付けして「この人、大丈夫かしら」と思われちゃったら申し訳ないという気持ちは少々ございます。

 さて。
 一般論として、自分の思い付きで適当なこと言いっぱなしな人はたくさんいますからね。いちいち気にするのもねという気は前野としてはありますが、会社判断はまた別です。会社としては、法的措置を検討中です。

 それはそれとして 、当記事は判例がテーマです。
 「判例は特殊だった」理由を「原告が癖のある人だから」とすることは、果たして妥当なのという点は、きちんと押さえておくべきでしょう。
 特段の専門性を有しておられるわけではない、いち主婦である石原慎子さんが、個人のご印象をごくカジュアルに述べられたであろうことを責めるつもりは毛頭ございません。ただ、法治国家ってこんなんだったっけ。というか、そんな「原告が癖のある人だから」という理由で判決が変わるのが、本邦の司法制度なのですか。もしもそうなら、PTAの違法性を検証する際の大前提が大きく揺らぐことになります。大丈夫でしょうか。

おまえの母ちゃんシンプルか?

 当該記事に限らず、弊社ブログはそのへんの中学生がざざっと読んでもんでも大体意味が分かる程度の日本語を心がけています。そこそこ読める小学生ならスイスイの日本語です。PTAクラスタの皆さんは、ぜひ石原慎子さんの「『裁判所は非会員の子どもを区別してよいと言っている』的に堂々と書いちゃっている」とのコメントと併せて当記事をお子さんに読んでもらってください。お子さんたちはなんて言うかしら。そんなことより晩御飯なに?とか言われてしまいそうですが。
 PTAネタをいじる全ての人の背後には、それぞれの家庭があり、それぞれの人生があります。ネットの空の向こうから、見てもないのに軽々に「こんな考え、間違ってる」とか言い切れるほど単純な話ではありません。Twitterのアカウントだけを見て「こいつはPTAのことばかり狂ったようにつぶやいている。やっぱりPTAやってると頭がおかしくなるんだな」とか分かれるのならば、精神科医も警察も苦労せんわ。

見たいもの見たさに引きずられて判断力が低下する

 それにつけても、なぜ石原慎子さんはこのような解釈をなさったのでしょう。
「人は見たいものだけを見る」とよく言われます。「見たい」理由は何なのか。
 当記事の初稿が世に出た直後、PTAの違法性を強く強く訴えていた方々が一斉に手のひらを返すムーブメントがありました。入会届がないと違法だとは言っていないとか、判例なんて気にせず信じた道を進めばよいとか。
 今までさんざん遠い他人を「PTAは訴えられたら負ける」と脅しつけてその文言を真に受けて無理して入会届を導入しようとして学校やP仲間と軋轢を生んでしまった現場のPTA役員の苦労をバッサリ切り捨てた感は否めないですが。

 が、しかし!
 前野としては、まあそうだろうねというところ。
 確かに前からこのアカウント、名指しで個人や特定の団体を違法だと決めつけているわけではない。そのように見たい人が見ればそう見えるように書いただけなんだよね、
 とはいえ、そのように見たい人だって、最初からそう見たかったわけではないでしょう。前にもちらっと書きましたけど、世のPTAも大概うんこまじりですからね。致し方ないご事情の方々が、致し方なきゆえそう見てしまった世界がそこに広がるわけですよ。
 例えば、

「裁判所は非会員の子どもを区別してよいと言っている」的に

https://twitter.com/nekoshikon/status/1362980557085286400?s=20

ここにも『的に』とありますね。「ずばりそう書いてある」という意味ではなくて、「そんなような意味合いに読めた」という意図でおっしゃっていると弊社は解釈しています。

 もっとも、その場合、単なる自分の見解を

堂々と書いちゃっている

https://twitter.com/nekoshikon/status/1362980557085286400?s=20

と明記してしまうのは、前野個人としてはいささか空想と現実のプレミアムブレンド感強め設定だなと思わなくもないですが、一般の方の自由なご発言の妨げになるようなコメントは控えたく存じます。揚げ足を取るのはカッコ悪いぞ、自分。

「区別していい」という解釈

https://twitter.com/nekoshikon/status/1362980557085286400?s=20

 いったい誰の解釈なのかは存じません。少なくとも当記事も、記事の書き手の松本怜も、リライトした前野芽理も、弊社の公式見解も、「区別していい」という『解釈』をしたことはないのですが、そんなことより、判例を『解釈』って。おっといけない。こういうところが駄目なとこだぞ、自分。本当に駄目。

 一般論として、一生懸命お勉強を重ねてきた人ほど、自分の過去の発言の誤謬を認められないものです。過去の記憶という敵と戦い続けてきたのであればなおのこと、「そもそもハナからそういう問題じゃないなよね」みたいな論理展開で自分がやるはずだった何かをあっさり実践・実現できた人を否定せずにはいられない心境になるでしょう。それでも、もしその人に戻るべきリアルがあれば「ごめーん」で済むかもしれません。夏祭りの屋台の焼きそば屋さんでも一緒にやったら、今までのわだかまりなど汗と一緒にきれいに流れてしまうでしょう。

 肉眼の目で見るべきリアルとはぐれてしまうと、心の目で見たSNSの風景が、このようの全てになっちゃうような。

 なお、本項の小見出しは、特定の個人を指すものではなく、あくまでSNSにおけるよくある風景の描写です。

産みの苦しみ、育ての喜び

 当記事を執筆した松本怜は、大変に悩みながら苦しみながら書きました。執筆に入る前からさまざまなの思いを前野に伝えてくれていました。彼女や彼女のネッ友さんが、『PTA改革』をうたう皆さんからどんな仕打ちを受けたのかも聞きました。
 執筆に当たり、松本怜が最初から最後まで気にかけていたのが、裁判の原告側に当たる保護者をおとしめることのないようにということでした。
 また、訴訟番号、根拠法令、その他参考資料などの調査で力強く後押してくれたサポートスタッフの尽力もありました。
 それでもやはり、初稿はスパイシーながら、表現の未熟なところも多々ありました。だけどガツンと一発目、これでいこうという判断で、松本怜の持ち味を最大限に生かした形でのリリースとしました。
 その後、折を見ていったん記事を下げ、リライトし、再掲して今に至ります。ホームページのリニューアルで、見出しの文字等見づらくなってしまったのは、追ってそのうち直します。今後、この記事の一部をシングルカットして、再リリースすることも検討中です。そのころには「入会届がないPTAは違法」「PTAは訴えられたら負ける」みたな論調はなりをひそめて、まだ裁判とか騒いでんのwとか草葉の陰でPTA祟り神から嗤われるようなPTあ界隈になっているかもしれません。そうであればと願います。
 だって、PTAなんですもの。その存在意義はさておきまして、何はともあれPTAは任意団体、つまり自由な意思による結社なのです。その運営を決めるに当たり、最初に判例ありきなんておかしいよね。

その時その場の仲間とともに、自分たちのベストプラクティスを探す。
何か一品料理を持ち寄って開くホームパーティーみたいに、何かやりたい人たちが知識やスキルを出し合って、子供も大人もいいね!と思える何かできたらいいよね。今はちょっと頑張れないなという人たちにも、もちろん扉は開いたままで。

おまけ

 今回のエントリーを書くに当たり、あっちこっちにメモしたことをまとめておきます。ご笑覧いただければ幸いです。

「人はそれぞれに自分の見たい世界を見る」
よく言われるけど、言葉が足りない。

「人はそれぞれに『できる範囲で』自分の見たい世界を見る」
事実はこうだ。

チャンスはね、平等じゃないの。
望むものが見たいだけ見られるほど
この娑婆は甘かねぇんだよ。
だから補い合うんだよ。

「人はそれぞれに自分の見たい世界を見る」
そりゃそうだけど、それだけだろうか。

人は誰しも
見ることが叶ったものしか見られない。
耳を澄ませて音を聞いても
過去に一度も見たことのないものの像は
正しく結べない。

この人は、なぜこのように「見たい」のか。
わたしは何度も立ち止まる。

時には瞳閉じて君の声に耳を澄ませたいあなたは、こちら、いかがでしょう。コスパよさげ。

この記事は、(株)きもちとしくみ主筆 前野芽理が書いています。 コラム、販促記事などの執筆のほか、司会業、セミナー支援も承ります。

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